キッチンクロス

今までも一つのモノ(道具)に出逢って、それを使うことで生活が楽しく感じたことは何度か経験した。

 
新しいコーヒーの器を手に入れたら、いつも以上に朝が待ち遠しかったり・・
ちょっと良い霧吹きを見つけたら、まだ寒い時期の苗の水やりもはかどったり・・

 
でも、そんなわくわくすることも何度かで少しずつ飽きていってしまう、情けないが正直なところそうだ。
情けないついでになりますが、わたしは食器を洗っても拭かずに自然乾燥にしてしまう。割とキレイ好きな方だと思うのだが、こればかりは昔から面倒でやったためしがない。

 

そんなわたしが一枚のキッチンクロスを頂いて、その悪しき習慣が治ってしまった。

手触りや吸水力、お皿を包み拭く感触が気持ちいい。変な通販番組のようですが、自分でも驚いている。

 
こういった道具との出逢いで自分の嫌な習慣が変わることってそうそうあることじゃない。それこそお皿を洗ったら、拭くことが習慣化していることが自分でもわかる。洗濯用の替えが少ないので新しいものを選んでいる自分までいる。
何か不思議・・

 

そして今晩も冷たい水で皿を洗うのです、
もちろん食器乾燥機なんてものはわたしの生活には必要ない。

 

水野

素敵すぎる中国製

メイドインジャパンについては以前にも触れました。大量消費時代を経て成熟したのか単なる流れなのかはわかりませんがメイドインジャパン回帰が進んでいます。ただそんな流れに便乗した「名ばかりメイドインジャパン」が横行しているのも事実です。売れないからとりあえず日本でもう一度作ってみようみたいな、そうすればメイドインジャパンと謳えるし、ロットも少なくて済むから・・てな感じなんでしょうか。

 
ここまでくると「どこの国で作られたか」に本質はない、「どんな人が作っているか、どんな人たちが関わっているか」がより重要ではないか。

 
そんな中、一枚のニットに出逢いました。

 
それは、中国の奥の奥、人の手がまだ届ききっていない大自然の中で100年以上無農薬で作られた綿が原材料。それを中国の方が手で紡いで、さらに中国のどなたかがハンドで編みたてたニット。手紡ぎに手編み、もちろん製品としての均一感はありませんが衣類にこれほどの表情が出せることを改めて知らされました。もうサイズは大体の目安でしかありませんし、こんな商品はネットでは売れません。人の手から人の手にしか渡すことができないものがあること・・、まだまだやれることがある気がします。

 

よしっ、もう一度お店に立とう!

 

水野

直感を鍛える

頭の中にはどれだけの不確かな情報が埋め込まれているんでしょうか?不確かであることさえ自覚していないものも含めるとかなりの量ではないでしょうか。一つ一つ疑って見直すことは不可能ですが、少しだけそんな癖をつけていくと直感みたいなものが働きだすと思っています。

 
周りを見渡しても個人単位での小さな改革(生活を見直すことだったり)や大きくは社会的ムーブメントを起こしている人たちがいます。良い悪いはさておき、そんな活動からいろんな問題提起を受ける機会は増えてきていると思います。そして、今まで見聞きしてきたことや当たり前だと思っていたことに疑問を感じ始めている人たちが確実に増えてきています。

 
それを自分自身への問題提起と受け止め、改めて自らに問う作業をしてみてはどうでしょう。何となく流されていくのではなく、自分の中に少しでも持論がもてるようこの工程をふむことがとても大切な気がします。「よくわからいけど、このままだと何かまずいんじゃないかな」と感じることも、「やっぱりこのままの方が良い」と感じることも、直感への一歩だと思います。知識の差はあって当然です、故に意見が違うことも当然です。知識がないことが悪なのではなく、考える工程をもっていないことが良くないとされるんですよね。

 
世の中には、たくさんの嘘が隠されているでしょう。このまま騙され続けてはいけないこともある一方、嘘のままの方が秩序が守られるなんてこともあると思います。この線引きは一人ひとり違っていいと思います。冒頭で書いた通り、すべてを解体することは不可能です。最後は直感で選択すれば良いのだと思います、常に考える癖をつけた人間の直感はかなり鋭くなっていると思いますよ。
そんな直感を研ぎ澄ます訓練をしていきましょう。

 

 

水野

何か大きく変わりそうな予感

 

根拠はないのですが、まもなく何かが大きく変わりそうな予感がします。変わりそうで変わらなかった何かが大きく動き出そうとしている気がしてなりません。

世界の今の流れを支持する人たちがこのままの方針にのって大きく動き出すのか、それともこのままではいけないと感じている人たちの中に「ひょっとしたら変えられるんじゃないか」という風潮が一気に加速していき何かを覆すのか、それはわかりません。

歴史上には偉大な発見や発明が遠く離れた場所で同時期に生まれたり、動物の世界でもあちこちで同時期に同じような不思議な行動をとりはじめるなんてことを聞いたことがあります。これらが偶然か必然かの真相はわかりませんが、こと人間、こと現在においては常に国内外問わずリアルタイムで繋がっていてる事実があり、ムーブメントを起こすお膳立ては既にされています。

 
それがどちらに働いてもおかしくはありません。

 
ただエネルギーが大きいのは、今までも情報網をフルに生かしコントロールしてきた主流派より、表面化しづらかった何かを変えたいと思ってきた人たちの方ではないでしょうか。潜在意識の中に長年共有して溜まってきたものが何かを突き動かす、そんな機が熟してきているのかもしれません。

 

 

水野

一定のリズムを刻む

四泊五日の東京出張でした。allinoneの展示会。久しぶりの東京だったので、仕事後の友人たちとの宴も、当然ながら今回の目的。なぜなら、このブランドでは生活と仕事が一定のリズムを刻む中で生まれ育てているからです。コンセプトではなく、作っている二人の生活をリアリティを形にしているから、遊びの先に仕事があり、逆に仕事の先に遊びもあるのです。さらには、売り方(どのように世の中に流通させるか)もわれわれのスタイルを貫いています。今の時代に逆行するかもしれないのですが、情報はできる限り制限し、既存の流通形態に乗せるのではなく、主体性をもって制作から販売に従事しています。利己的に見えることもあるかもしれませんが、われわれは心地良いリズムで暮らし仕事をしたいだけなのです。

相棒と一緒に東京で仕事をするときはいつも、食事をさせてもらうイタリアンレストランがあります。二日目の仕事後、オーナーを交え三人で会食していました。そこで、生活と仕事、家族など、お互いの日常について語り合いました。深く本音で話をすると、今の暮らし方に見直すべき箇所が露呈してきたりもします。それらを否定的に捉えるのではなく、生活のクオリティがさらに高まる予兆として受け止めています。始動してわずか半年ですが、すべてが上手く循環しておりまして、貪欲に掘り下げ出しています。もしかしたら、このブランドをはじめたのは、自らの暮らしの質を高めたいと考えはじめたからなのかもしれません。

ブランドのプロフィールにも書いていますが、生活に寄り添うように仕事があり、遊びの延長に仕事がある。すべてのリズムが一定であるが故にすべてが心地よく流れる。まさにそれを体感した今回の出張となりました。展示会WHOLESALERS SHOWにご来場くださいましたみなさま、仕事後一緒に遊んでくれた友人たち、ありがとうございました。また、神出鬼没に活動して参りますので、今後ともよろしくお願いします。

説田

サービスには少なからず代償がある?

年々SNSが広まりつつある中、一方でその存在を不安視する声も増えてきているのも事実です。わたしの周りでもたわいもない会話に混じってこの件が度々話題に上がるようになってきたので少し触れてみようかと思います。

 
わたし個人としてはそういったものを使用してきていません、ただ仕事上では一部使わせていただいているのも事実です。先に言っておくとわたし自身は肯定派でも否定派でもありません。ありきたりな言い方ですが、それぞれがうまく使いこなせるかどうかに尽きると思います。つまりはシンプルにメリットとデメリットの問題です。そっけなく聞こえるかもしれませんが、それぐらいのものと意識していないと怖いということです。
サービスを使用している人はSNSのメリット(利便性含め)はよくわかっているのですが、デメリットは意外とみえていない気がします。(*補足しますが、このケースのデメリットは人それぞれで違います。)

 
すべてはここにある気がします。

 
大げさな表現をすれば、この見えない物体に知らないうちにコントロールされないことです。依存してしまうことは勿論のこと、単に慣れていくことの裏にあるものを自覚しておくことでしょうね。
機能も自分自信もコントロールできる側でいること、つまりデメリットを受け入れていれば世間から何を言われたって気にする必要なんてないということです。

 
わたしが個人的にSNSをやっていないのは、知り過ぎることへの怖さもありますが、一番はたまに会う知人たちと新鮮な会話を積もるほどしたいからでしょうか。

 

水野

四季の力

各地から桜の便りが届いています。みんなでワイワイと花見をすることは少なくなりましたが、素直に桜の時季はとても気持ちが良いものです。

日本のようにこれだけ四季がはっきりしているのは世界でもほんの僅かなんでしょう。歳を重ねていくにつれ、この四季の変化は仕事をしていく上で大きな役割を果たしていてくれると思うようになりました。
わたしは仕事が好きな人間です、ただ一年に何度か理由もなく仕事から離れたくなり無気力になってしまうことが周期的に訪れます。それは一定のリズムの心地よさを求める自分と刺激を求めだす自分の矛盾さが合いまみえる瞬間なのでしょうか。人はずっと同じ環境だと物足りなさを感じてしまうものです、それがどんなに幸せな環境だとしても。そんな時、仕事場の窓の景色が変わっていくことがそんな衝動を緩和してくれている気がします。

スイッチを入れ直さなければいけないと自力で頑張ってきたつもりでしたが、ひょっとすると自然と目に入ってくる景色(四季)の変化がその原動力の一つになり、リセットさせてくれていたんじゃないかと思います。緑緑しい夏の景色や紅く染まる秋の景色、真っ白な雪の景色、それぞれに感じる賑やかさや切なさもひっくるめて刺激となり、活力となっていく。

もし季節の変化や行事ごとによる景色の変化がなかったら、日本人はこんなに勤勉ではなかったのかもしれませんね。
都会から離れて、自然いっぱいの田舎に移りたくなるのもそんなことからなのでしょうか。

日本に生まれて良かったと改めて思うと同時に、いつも四季の移り変わりを感じれるような余裕くらいは持っていたいと思います。

 

水野

世代間物欲差(R指定40)

気付けば四十も半ば、今年で四十五を迎える正に団塊ジュニアとよばれる世代の筆頭。一般的には結婚をして、住宅ローンや子供の進学などで自由なお金が少なくなっている頃ですが、他世代に比べれば物欲自体は多い世代ではないでしょうか。(*物欲というのは趣味性の高い洋服や家具、車やバイクなど嗜好品といってもいいでしょう)

 
世代論を語るのは否定的な方ですが、団塊世代やそのジュニア世代は良くも悪くも時代の中心ターゲットになってきたことは否めません。生きてきた時代時代を思い返してみても発信される情報は明らかに我々世代を向いていましたし、それは現在もかわりません。同じ時代を生きていても感じることや価値観のズレが世代間に生じるのも納得と言えば納得。

 
昔のいわゆるトレンディドラマにはファッションや車などこんな生活が格好良いというステイタスのすり込みがありました。また30歳になると同時にR30なんて商品が発売され、歳を重ねる節目にはまたR35、R40と続いていく。企業側からすれば人口が多い世代をターゲットにサービスを提供するということは非常に簡単な消費戦略なわけで、我々はそれを常に浴びながら生きてきたとも言えます。そうやって担ぎ上げられながら物欲が強く生まれてきたのが我々世代だと思います。

 
一方、人口層の観点からターゲットの外で生きてきた今の20代から30代前半の若い人たちは踊っている(踊らされている?)人たちを端で見てきた世代です。故にどこか冷静で物欲に対しても引き気味なのも理解できる気がします。消費する側の観点から見れば賢くて良いのかもしれませんが、消費してもらう企業側からすれば売れない時代には大きな課題です。しかし、それも身から出た錆、今までターゲットという舞台の外に置いてきた代償なのかもしれません。

 
昨今の風潮から「物欲」というものはマイナスイメージが高いようですが、わたしが思うに買う買わないは別として物欲というものはいつまでも持っていたいものです。物づくりの根底にもそれがとても重要なことだと感じています。変な言い方ですが、十代後半から二十代前半の頃に植えつけられた物欲はその後の動向に大きく影響すると思っています。踊らされて恥をかいて劣等感を覚えたから自分流の舞が生まれることもあります。若い頃にみんな同じ方向を向いて、「格好良くみられたい」とか「もてたい」なんて時期を通るのは必要なことではないかと思うのです。そんな麻疹のような経験が自分なりの格好良さを追求したり、モノを見る目に繋がるんではないでしょうか。

 
「そもそも踊ることに何の意味があるの?」

と思わせてしまっているのならそれもまた我々世代から上の人間の責任だと思います。

 

 

水野

メイドインジャパン②

日本の職人さんには後継者の問題があることは誰しも一度は耳にしたことがあると思います。昭和の時代にもそういった問題は少なからずありましたが、昨今語られる後継者問題はその比ではありません。なにしろ団塊世代の職人が引退していくということは、たくさんの技術が一気に消えていくとも言えます。この問題が押し寄せてくるのもすぐそこまで来ています。

わたしたちの業界の周りでは特に縫い子さんの問題があります。どこへ行っても若い担い手がほしいという声があります。ただ、デフレで価格競争になり、安いことが当たり前になってしまった日本で縫製工賃が割りにあわないのも事実です。見習いの時に給料が安いのはわかりますが、一人前に縫えるようになってもそれが見込めないとなれば致し方ないのか。

しかし、逆に考えればこれだけ縫い子さんが育っていないということは、何年後かには縫える人がもっと重宝される時代が来るということだと思う。もちろん、大儲けしたいという人にはお薦めできないかもしれないが、今後の日本の就職事情も踏まえればそんな選択肢も間違いじゃないはず。若い縫い子集団で技術があり、新しい付加価値を見出せるのであれば高い工賃を払ってでもやりたいという企業は絶対にあると思う。仮にそんな時代がきたとしても他の追随が簡単ではない、一朝一夕にはできないのが職人技術な訳です。

それは、集団こそがブランドになり得るということ。

たまに縫製業に地味なイメージを持ちづづけている人たちがいますが、それもやり方、考え方ひとつで変えられるんじゃないかな。
わたしの家も幼い頃は小さな縫製業を営んでいました。しかし、80年代以降の海外生産の流れの中、小学生の頃に家業の廃業を目の当たりにしました。だからこそ人一倍縫製業の視点になってしまいますが、きっと他の業種も同じことだと思います。
若い人たちが新しいスタイルで継承していくことはむしろ必然で、いろんな可能性があるということをもっと伝えていかなくてはいけないんじゃないでしょうか。

 

水野

偉人の言葉

先日、デビッドボウイ氏が他界されました。熱狂的ではありませんが、少なからず影響は受けました。そんな彼が生前に残したと言われる言葉です。

『 僕はいかにも幸福なアルバムが嫌いでね。僕が幸福な時、僕はいかにも幸福なアルバムは聴きたくないし、本当に悲しい時は、幸福なアルバムは聴きたくない。だから個人的に、僕の人生には幸福なアルバムの入り込む余地はあまり無いんだ。 』

『 もがき苦しむって事は非常に大切なことだからね。時には自身の内面を研ぎ澄ますために、自分の魂を痛めつける必要もあるんだよ。 』

『 何をしても文句をつけられる。大がかりにやっても、細々とやってもね。いずれにせよ非難されるんだから、どうやろうと関係ない。自分が何をしたいのかを見極めて、それを実行するのみだ。それしかないよ。 』

世界中に影響を与え続けた偉人の言葉だからこそ、真っ直ぐ心に響きます。多感な十代、二十代前半の受け止め方とは違うけれど、大人になった今、あらためて心に突き刺さる言葉なので、ぼく自身心に留めておこうと、ここに書き記しておきます。

説田