From 1月 2016

偉人の言葉

先日、デビッドボウイ氏が他界されました。熱狂的ではありませんが、少なからず影響は受けました。そんな彼が生前に残したと言われる言葉です。

『 僕はいかにも幸福なアルバムが嫌いでね。僕が幸福な時、僕はいかにも幸福なアルバムは聴きたくないし、本当に悲しい時は、幸福なアルバムは聴きたくない。だから個人的に、僕の人生には幸福なアルバムの入り込む余地はあまり無いんだ。 』

『 もがき苦しむって事は非常に大切なことだからね。時には自身の内面を研ぎ澄ますために、自分の魂を痛めつける必要もあるんだよ。 』

『 何をしても文句をつけられる。大がかりにやっても、細々とやってもね。いずれにせよ非難されるんだから、どうやろうと関係ない。自分が何をしたいのかを見極めて、それを実行するのみだ。それしかないよ。 』

世界中に影響を与え続けた偉人の言葉だからこそ、真っ直ぐ心に響きます。多感な十代、二十代前半の受け止め方とは違うけれど、大人になった今、あらためて心に突き刺さる言葉なので、ぼく自身心に留めておこうと、ここに書き記しておきます。

説田

メイドインジャパン①

アジア圏を中心にした急激な経済成長がめざましい昨今、円安も伴って日本への外国人観光客が増え続けているのはご承知のとおり。内需への期待感が薄れていく日本企業にとっては願ってもないチャンスではあります。そこで大きなキーワードの一つとなるのが「MADE IN JAPAN」でしょう。これは今に始まったことではありませんが、日本人がもつ勤勉性や正確性からくる技術力への信頼が世界へ完全に浸透した証しでしょう。
そして2020年の東京オリンピックへ向け、更なるメイドインジャパン回帰の流れが加速しているように思います。それは日本で小さくモノづくりを続けてきたわたしはもちろん、職人さんにとっても素直にうれしいことです。

 
ただ、残念ながら今の日本にはそれだけを受け入れるほどのキャパシティがあるとは到底思えません。わたしの周りの職人さんは縫製業や素材、付属品等の製造業の方々が中心ですが、ここ何年かで廃業されたところも決して少なくありません。こうした現象を生んでしまったのは企業側にも消費者側にも問題はあります。

 

アパレル業界でもこの十年でデフレが恐ろしい程進み、コストを抑えるために大手企業はどんどん海外へと生産を移してきました。安い商品を販売する企業は全く否定しませんし、長年そのスタンスでやられている企業には頑張ってほしいと思うくらいです。しかし、それ以外の大手アパレルも安いコストを求めて生産の比重を海外へ移してしまいました。その裏にはどんどん仕事が減り、価格競争へ巻き込まれる日本の作り手の姿がありました。そんな中でも、職人さんやメーカーさんは耐えて、考えて日本製を何とか維持してきました。

 
そして、ここにきてのメイドインジャパン回帰の流れ。大手企業はまた手のひらを返したように日本の工場へと戻ってきています。表向きは美しく語られているかもしれませんが、ずっと日本でモノづくりをしてきた人たちには困惑する事態です。小さくなった日本の工場のキャパシティはもう限界に達し、言葉は悪いですが生産キャパの取り合いになっています。

 
小さいものは大きいものには勝てない?
そう信じたくはありませんが、そうなるのも悲しいかな市場の原理。
大手アパレル企業さんでも素晴らしいスタンスの会社はたくさんあります、せめて工場さん職人さんには一過性ではなく2020年以降も共生していける企業さんと取り組んでもらうことを望みます。
そしてもう一つ、消費者側も価格やデザインだけでなく、作り手がどんなスタンスでモノづくりをしてきたかも選択肢のファクターに入れていただけると救われます。

 

 

水野

2016年の始まりに

人間には「欲」というものがある、この「欲」が「強欲」となり争いになっていく。領土や資源を取り合うことはもちろん、宗教観の相違によって起こる争いもつきつめれば根底に「欲」というものがあるとも言われています。
この「欲」というものは厄介で、人類共通に均一化することが難しい。貧しい国の人たちが望んでいることと我々日本人の大半が望んでいること、または楽しいとか幸せと感じることへの価値観の開きは相当大きい。まず、そこを埋めない限りその理想(世界平和)には近づかない。我々のように物的に恵まれた国の人間がどれだけ諭そうが物的に満たされたことのない国の人たちには響かないはずである。

であれば、我々恵まれた国の人間に何ができるのか?

 
極論は「ぼんやり平和を願う」ことなのかもしれない。

 
これは、あきらめでも何でもない。誰かの受け売りで平和を唱えるのではなく、いつでも心にぼんやり平和を願っているくらいの方が近道なのかもしれません。物事は強く訴えていると、知らぬ間に自分がもっているもの以上に大きく掲げ過ぎて自らが破たんしてしまう傾向にあります。そうではなく自分の中だけでじっと唱え続けることが普段の小さな行動や振る舞い、意識へと繋がっていき、周りに少しずつ伝わっていくんだと思います。

目に見えない病原体までが一瞬で広まってしまう時代です、それなら意識というものが少しずつ世界へ広がる可能性もないとはいえない。

 
本年も宜しくお願いいたします。

 

水野