From 12月 2015

2015年の終わりに

世界が一層混沌とする2015年も残り僅か、世界から争いがなくなる時代はまだ見えそうにありません。

世界には資源のある国とない国があり、技術のある国とない国がある、そして経済が繋がり、そんなことに宗教観なんかも入り組んでいつしか争いへと繋がっていく。
世界各国が経済の発展を推し進める以上争い事はなくならないという人は多い。そして、そんな思想は時に戦争を無くそうと願う我々を理想論だとあざ笑う。確かに心から戦争を願っている者などいない訳だし、単純に嫌だから叫んでいるだけでは駄目なのかもしれない。
資本主義の限界とか、代替エネルギーなんて議論をする前にまずは我々の願う理想郷の現実を創造できなくてはどうしようもない。

人は便利になったり、快楽を覚えると抑えがきかない生き物です、

何が行き過ぎていたのか?何を引き換えにするのか?

 
世界が平和になった時の生活は今よりぐっと不便(と感じる)だろう。

各々にそんな覚悟を備えていれば、理想を掲げることは決して悪いことではない。

 

今年一年ありがとうございました、 水野

モノトーンの世界

われわれ人間の目に見えるものは、おおむね色を持っていますが、一旦色がなくなると、人は神経を研ぎ澄まし、明暗の変化から想像力を高め、その意味合いを探り出そうとします。

モノトーンの写真や映画を見ると、色や音がないぶん、表情や背景、細部がとても気になります。さらに、読書(文章)となると、視聴覚の要素は排除されるので、想像力はより高まり、脳が活性化しているようにも感じます。

世の中、さまざまな物事が、どんどん便利になって、想像力を働かさなくても、正確で客観的な情報が舞い込んでくるようになりました。映像と音とキャッチフレーズで、思考を支配されてしまう恐怖感すら覚えることがあります。時代に適応すればするほどに、不十分な情報しかない不便な状況では、適応力が鈍ってしまうのではないだろうかと、不安に陥ってしまいます。

安易に、便利さに身をゆだねるのではなく、意識的に情報を制約し、想像力を働かせ、適応力を高めるモノトーンの世界感。今、とても大切にしたいことの一つです。

説田

言葉と人間力

いくら正しいと思っていることでも言葉にしない(してはいけない)ことがある、また一方で思っていないことでもかけなくてはいけない言葉もある。そしてそこに立ち会っている人間がそれをそっとくみ取ることが人間力だと思う。

 
普通に生活していてもそんな瞬間は大なり小なり訪れる。物事を突っ込んで考えなきゃ気が済まない私みたいな人間は常にそこのブレーキとアクセルに気を遣っているつもりだ。物を伝える(教える)立場の人間は特にそこが難しい、一層のこと話すことを止めてしまえば楽になるのでしょうがそうもいかない。どれだけ相手のことを考えて話していても伝わらないことはあるとは思うのですが、それだけに止まらず相手のために心の内に関係なくかけた言葉に切り込んでこられることほど辛いものはない。時に会話というものには自然と終わりの合図みたいなものがあります、お互いが本音を出しきらず成立させることも必要なはず。

 
空気を読むではないですが、それが単にかけられた言葉なのか、そっと置かれた言葉なのかを気付くことができないのはすごく寂しいことのような気がします。
人間には豊かな表情というものがあります、理想かも知れないですが言葉(会話)はできるだけ少ない方が美しいのかもしれないですね。

 
言葉の真意を読む力ってすごく大切だとつくづく感じる今日この頃です。

 

水野