From 10月 2015

それぞれの目的地

まわりの人からいろいろと相談を受けることがあります。決して聞き上手ってタイプではないので、そんな時はわたしも遠慮なく思ったままを真剣にぶつけていきます。時に少し弱っている人が相談をしてくる場合は、わたしもそれなりに配慮して聞き手に徹することもありますが、基本的には自分の方が前のめりになるくらい真剣に向き合います。わたし自信に問いかけ直す意味でもそうですし、それが礼儀だとも思っていますから。

 
近頃そんな場面ですごく気になるというか、引っかかることがあります。それは仕事面の相談にも多いのですが、「どうなりたい(目標)」ということがボヤっとしていて、そのために「何をしたらいいのか?(手段)」を問われることが多いんです。日常の何気ない会話なら軽く流せばいいのでしょうが、真剣に話してこられる時はちょっと困ってしまいます。

 
ではなぜ目標とするところがボヤッとみえてしまうのか?

 
基本、質問や相談っていうのは、山に例えれば目的地があってそのルートを問うようなものだと思います。目指す景色は人それぞれのはずですから、その目的地はより具体的でなくてはなりません。時に目的地がその中継地点ということもあるでしょうし、みんなと違うところを目指している人がいても何ら不思議ではありません。しかし、目的地は皆が山の頂上だと思い込んで話される方がとても多いんです。

 
絶景は頂上だけとは限らないでしょ?

 
目的地はみんな同じだと思い込んでしまっている人ほど、その頂はぼやけていて質問も必然とぼやけてしまうんだと思うんです。
そしてそれは、ちょっとした言葉にもあらわれます。例えば、「良い暮らし」や「良い社会」のように「良い○○」という言葉が会話の中に出てくることがあります。この「良い」という主観的な言葉を質問の前提に挟んでくる人がいます。もう少し解りやすく例えれば「どうすればもっと良い社会になるのか・・」のような使い方で話しを進めていく人です。お互いの思い描く「良い」の形があたかも同じ概念だと決めつけている時点で、答えからはほど遠いところにいるということだと思います。

 
たまにはこんな愚痴っぽい日もお許しいただければ。

 

水野

無名の良さ

先日、別の仕事ですが、とある野外フェスでデザインユニットを招いて、ワークショップを行いました。活動を始めたばかりで、まだまだ「無名」ユニット。すでに名が世に轟く「有名」を起用すれば、手放しで盛り上がるのは想像に容易いのですが、無名だからこそ、無名である時期だからこそ、100%純粋な反応を体感できるチャンスでもあるのです。

もちろん、無名と言っても才能を信じて起用しています。賭けではなく、確信した上で。一緒に仕事をしたり、私生活でお酒を呑んだり、仕事場にも遊びに来てくれたり、そういった日常の繰り返しで信頼は生まれるものです。そんな生活の循環が確信を生み出します。注意すべきは、仲良し小好しを信頼と見誤ってはいけない、という点です。

今、世の中を見渡すと、希薄な関係性のもとで「有名」を起用する場面をよく見かけます。噂で見聞きしたことがあるくらいのレベルで。有名になるまでクオリティを高めてきた人たちに罪はないのですが(いや、希薄な関係性で乗っかる時点で罪かもしれませんが)、その名を片手間で利用して消費者を操ろうとする手法は下品ですね。

名前が一人歩きしてからでは、できないことが山ほどあります。何かものごとを始める時、がむしゃらに前に進むのも良いのですが、名もない時代にしかできないことを突き詰めるのも楽しいものです。ぼくら自身、このブランドを始めたばかりで無名です。有名になりたいわけじゃありません。ただ、具現化したい、表現したい想いはたくさんあるので、今、無名である時代に、自分たちに何ができるのか、追求しながら日々過ごしております。

堅苦しいこと書いてますが、楽しんでおります。

100円の古本

情報があふれる時代になると同時に、情報を過剰に欲する人が増えてきたことも否めません。そんな人たちが増えると情報を出す側も欲している人が好みそうな情報をどんどん提供してきます。本屋さんに並んでいるものを見ても明らかで、特に経営・社会関連、自己啓発系の類は必然的にこの傾向が高くなります。例えば「なぜ○○は○○なのか?」みたいなものもそんな中の一つかな。もちろんその時のトレンドを題材にして本質を探る方が入りやすいのもわかりますが、逆に言えば、トレンドの中にいる当人にとっては思考の邪魔になるものも多い時であると言えます。

わたしは良く古本屋に行きます、それも洒落た古本屋ではなく某大手チェーンの古本屋。しかも100円コーナー、そのほとんどが数年~10年程前のもので、そこにはここ何年かの社会トレンドが集約されています。こんな本が売れていたんだと思うと同時に今売られている本(その類)のほとんども数年でまたここに並ぶんだと思うと何か不思議な感じがします。しかし、そんな中にもまれに本質をついているなと思う本(時代背景は無視して読んでいます)だったり、まだ記憶に新しい過去の本だから見直すことで逆の発見に繋がることもあったりします。何かを得たいと考えている時、「きっと良いことが書いてある」という先入観はあまり良い方に働くとは思えません。最新の書籍でもなく、何十年も前の名著でもなく、だれも目を向けなくなったものの中から読み取ること(行為)こそ身になる気がします。

震災が起こる数年前の本を読んでみるのもいいでしょう、また民主党が政権をとっていた時代の本をみるのも良いと思います。この時にこんなことを語っていた人がいたんだと知ること、この時自分や世間はこう考えていたなと思い返すことだけでも考えさせられることはいくつか見つかります。

新しい情報よりも自分にとっての新しい発見や発掘に意味があるんじゃないでしょうか。

 

水野