From 9月 2015

不断着

「ふだんぎ」に漢字をあてると「普段着」と「不断着」の二つがあるらしい。もともとは不断(着)の漢字が使われていただけで特に違いはないとか。一応、「普段」の意味を引いてみると日ごろ・・のような日常を表す言葉、一方「不断」はというと途絶えないで続いていくこと・・とある。一緒の意味なら断然こっち(不断)の方が良いじゃないですか、しっくりくるしどこか気持ち良い。というのもallinoneのコンセプトは仕事も遊びも生活すべてが一定のリズム・・不断着と書いてオールインワンと読ませたくなるくらい。

 
allinoneは、ワークウェアといえばワークウェアだし日常着といえば日常着・・、そのまま外へも遊びに行く、そこにくくり自体が存在しない。

 
お恥ずかしい話しですが、いい歳をしてわたしにはTPOなる着こなしがほとんどない。ちょっと大事な仕事の時はボタンを一番上まで留めるくらい、あとは大人?なので冠婚葬祭に背広を着るくらい。もうここまできたらいつもこんなんなんですと開き直るしかない。あまり一定であることを強く言い過ぎるのも誤解がありそうだし・・、つまりは着回しが出来ない不器用なヤツってことですよ。

 

水野

ひと手間

こんにちは、説田です。

先日、LIFEで開催中のポップアップストアの帰りにTACOMA FUJI RECORDSの渡辺さんを訪ねました。東京に行くと必ず会って話をしたい人で、お互いの近況報告をするだけでもなぜか頭の中が整理できる稀有な存在。そんな彼のブログでチラッとぼくのことをご紹介いただいてます。なるほど。

『説田さんは面白い。経歴も仕事に対するスタンスも、他の人とはちょっと違う。人と違うことにビビらず、ひけらかさず、飄々としながらたまに顔を出す頑固というか、意志の強さが話していて心地よい。』

allinoneの製品は、メール注文に限らせていただきウェブ通販をしています。今の時代、お客さまにとって手間がかかる面倒な購入方法です。そんな中、一通のメールをいただきました。

『最近ではボタンを一つ押すだけで欲しいものが手元に届く買い物が多くなっていましたが、購入をさせていただくまでに、このようにやりとりをさせていただき、温かみや親近感を感じさせていただき、洋服が手元に届くのがより楽しみになりました。愛着を持って、大切に着用させていただきたいと思います。ありがとうございました。』

利便性や機能性は、ぼくみたいな速度の遅い人には優しくなかったりもします。時代や世の中の常に流されずに、逆らってみたり疑ってみたりすることで、心地よく感じるのであれば、「ひと手間」はとっても温かいものです。

食のかたち

日曜日のLIFE Sonday MORNING MARKETもみなさまのお蔭で無事終えることができました。この場をかりましてお世話になったすべての方にお礼申し上げます。翌日はPOPUP設営後にそのままLIFE相場さんと鎌倉入り、そこでご紹介いただいたKINFOLKやNODEなどでご活躍のティナさんとも楽しい時間を過ごさせていただきました。「食」を通して何を伝えていくのかをしっかり考えておられる方々、分野の違うわたしにも通ずることは多く、その志しの高さやパワーは十分に伝わってきました。
わたしも5年程有機で野菜を作っていました。始めたきっかけの一つにあったのは、シンプルに人間として覚えておかなければいけないことと感じたから。土、肥料、オーガニック、循環、さまざまなことを体験を通して知り、その経験はその後の「食」への考えに大きく影響するようになりました。わたしが「食」を考えるときに一番大事していることは身土不二。人間の身体はその土地やその季節と切り離せない関係にあるということ、つまり、地元でとれた食べ物をその旬に食すことが身体に一番良いという考え(≠地産地消)。わたしなりの解釈で言えば、自分の身体は自分の育った土地のもので作られている、だから昔のように旬の時季に食すことが心身ともに良いということ。オーガニックなどもそうですが、あまりかたく考え過ぎずあくまでもプライオリティとしての地元と旬という考えです。
「食」に対する意識は人それぞれであっていいはずですし、「美味しい」という形もざまざまです。ただ、どんな形であれ「意識する」ことは欠けてはいけない気がします。そんな「意識」を与えてくれる食の達人たちは数多くいるわけではありません。

まさに「食」にはじまり「食」に終わったという感じでとても刺激の多い数日間でした。TARUIさんのパン、立道くん(POMPON CAKES)のケーキ、JAMESオーナー夫妻のおもてなし、美味しさの要素に素敵な笑顔は欠かせないことは間違いなさそうです、みさなんご馳走様でした。

水野

 

何をどこまで求めるのか

モノを選ぶ上で「機能性」は必須だという人は多い。ただ、機能性を突き詰めていくと思わぬ弊害を生む。

「ここが○○○ならもっと使いやすくて売れるのに・・」、そんな事をご指摘いただくことがあります。でも、その便利で機能的な何かはきっと巷にあふれている何でもないものに近づけていってしまう。そして、ちょっと曲げた何かでデザインは大きくバランスを失う。

わたしが考える第一は「どこか愛おしい」ってこと。それは、あからさまな格好良さ?(かわいさ)なんかではなく、もっと奥からジワッとくるカタチだけでは表現できないもの。そして、手にとった側もうまく言葉で表現できないもの・・・

ちょっと使いづらいけど手にしてみたいなと思ってもらうことだったり。

モノも人と同じでちょっと完璧じゃないくらいが愛嬌があって魅力的なのかも。

水野

4分33秒

はじめまして、説田です。ご挨拶の代わりに、9月5日にまつわるコラムを一つ。

作曲家ジョンケージが生まれた日。代表曲として有名な「4分33秒」という曲(?)は、初めてこの曲に対峙した当時20代のぼくには大きな衝撃で、後の価値観に大きな影響を及ぼしています。

なぜ「曲(?)」と書いたかと言いますと、すべての演者は最初から最後まで演奏をしません。楽譜には各楽章にTACET(休憩)と書いてあるのみなんですね。当然賛否があり、偉大な演奏と評価する人もいれば、茶番とみなす人もいます。

また、ジョンケージはあるとき、音のない世界の音を聞くためにハーバード大学の無音室に行ったそうです。そこで聴いたのが「神経系が働いている音」と「血液が流れている音」。

音楽という表現の中での無音。無音という中での音。「4分33秒」を聞いて以来、自分自身の固定観念なんて、たんなる思い込みかもしれないと考えるようになりました。ましてや他人に押し付けるなんて烏滸がましいことです。ただ、このブランドで挑戦してみたい重要な要素の一つが、自分の理解が及ばない事象に対峙したときに駆られる衝動。それを製品を通して表現してみたいと思っています。

どうぞ、よろしくお願いします。

小さくあることへの意識

こうして色々とモノづくりに携わらせていただいていますが、常に自分の役割というものを強く意識しています。ここでいう役割は人から与えられたり求められるという意味ではなく、自らが感じ自らで動こうとすること。わたしのように個で動いている者でも、小さかろうが受け身ではなく何時でも自発性をもっていなくちゃいけない。だから、「小さくても出来ること・・」ではなく、「小さいからこそ出来ること・・」って発想でいます。時に、自分にしか出来ないんじゃないか、と思う事すらあります。これはポジティブとかそんな大層なものじゃなく、きっと単なる勘違いの類です。でもこの勘違いこそが力量以上に大切な自信というものに繋がるんです。自分の置かれている(置いている)立場でどう振る舞うかで形勢はどうにでも変わるものです。大小はあくまでも周りからの価値観に過ぎないのでわかりませんが、自らが小さくあることへの意識を持つということはわたしにとってとても大切なことになっています。日々いろいろな事をいろいろな角度から考えたり、何でもないようなことをわざわざ難しく考えたりしているのも、この環境を守り続けようとしている証だと思います。そんなたわ言から生まれるものもあると信じ、これからのコラムをつづっていこうと思います。今後とも宜しくお願いいたします。

水野