From 未分類

あきらめない思考

第二次世界大戦後、かのアインシュタインが晩年に残したとされる言葉があります。

「第三次世界大戦はどうなっているかはわからないが、第四次世界大戦があるのなら人類は石とこん棒で戦っているだろう・・」。

つまり、第三次に核兵器で一度文明が滅び、また石器時代のような時代が来るという警鐘であろう。皮肉にも核兵器開発への一歩となってしまった彼の発明だが、そんな彼の言葉だから大きな衝撃を受けた人も多かったはず。

最近も緊迫した状況が続いていますが、国家間というよりは個と個の崖っぷちの駆け引きの様相でとても怖い印象を受けます。

しかし、未来は明るくと想っていないと人類も物事もいい方向には向かわない。ただ楽観的だけではいけませんが、人間をあきらめない思考をもたないといけないと自分にも言い聞かせる日々です。

作家の倉本聰さんがこんなことを言っています、

アインシュタインはきっと、‟人間の英知が正しい方へ向かっていたら、武器なんてものをつくるのに科学の力を使ってはいけないと知る。人間自ら核の恐ろしさを学び、原点に戻った戦い方をするだろう”と言いたかったんじゃないかな。

 

水野

分岐

生き物が進化の上で枝分かれしてきたように、人間(現)もどこかで二つに分かれるときがくるのかもしれない。

ひょっとするともう始まっているのかも?と感じるときもある。

どこかの島でイグアナが海を選ぶ者と陸を選ぶ者に分かれた話しを聞いたことがある、その見た目に大きな違いはないが明らかに生態が違うらしい。きっかけは餌を求めてとのことと記憶しているが、それはまだここ近年の話しである。いずれ海を選んだ方に大きなヒレができたり、陸の方は首がグンと伸びたり・・、大きな変化(進化)が現れてくるのだろう。

イグアナのように生き方の選択で種分化されていくとしたら、現代の人間にもその可能性があるんじゃないかと思う。人口爆発で食料危機が危惧される中、新しい品種改良や研究が進められ、ITの世界やAIの世界は驚くようなスピードで変化していく時代。この変化は技術的進化であり経済のためにも止められるものでもない。

各々がどのような選択をしていくのか?

どこまでの便利を求めるのか、または使うのか?

互いの距離感をどうするの?言葉は文字は?

それを食べるのか食べないのか?

決して二者択一の簡単な話しではないが、じっくり吟味しながら自分の良いところを計って生きてほしい。

 

ただ流れのままに生きていると、いずれ何かしらの身体に変化が出ないとも言い切れない。

まずはスマホを握る親指から変化ははじまるのかな?

 

 

水野

 

いいね!のこと

今日は京都LIFETIMEへallinoneの打合せ。たまにはこんな内部事情をお知らせすることもallinoneらしさかと思いました。

作りたいものがフッとわいてくるとお互い会った方が間違いなく事がスムーズに運ぶ。商品開発の打合せはもちろんですが、何より二人が普段感じている事の意志疎通がメインかもしれない。

やっぱり感じている事はいつもかなり近いところにあります。作りたいものも不思議と同じことを同タイミングで考えていて仕事モードなんて微塵も感じない・・遊んでいるような感じで終了してしまう。

これが本当の「同調(♥いいね!)」だね、と笑いながら酒を飲む。

こんな話になると今の時代のネットやSNSの話しにもなる。

自分たちもネットは不可欠なものになっていることは重々承知のこと、ただSNSを含め世の中があまりにも行き過ぎてしまっている事への懸念はいつも感じている。

我々が頑なにそのラインを模索しているのは、みなさんが引き戻してくるところを確認してもらうためと感じています。偉そうな立ち位置でモノ言うつもりはありませんが、これが二人が感じている今の正直なところです。

わかりずらいホームページやご購入して頂き辛い環境もお許しくださいと思うと同時に、こんな我々に同調して頂ける方が増えている事に感謝の意を。

 

水野

そうでありたい

あの人は洒落た人。

あの人は昔からあれを着ている。

もうあれは着てないのかな?と思えばやっぱり着ている。

あれが巷で流行り始めた。

いたるところにあれを着た人がいる。

相変わらずあの人はあれを着ている。

あれを着ている人がいなくなった。

あの人はずっとあれを着ている。

街中はまた新しい何かで溢れかえっている。

でもあの人より洒落た人はいない。

つまりはそういうことだ。

 

水野

言葉もセンス

日常でよく見かけるやりとりに、「その言葉って本来は逆の意味で使うのが正しいんだよ」・・。

知っておきたい人は勝手ですが、一般的に間違って使われることが大多数になってきたならそのまま会話した方が絶対スムーズなはず。

「僕には役不足です」って大半の人が逆に使っているなら、本来の意味で使う時は違和感があってしょうがない。「あれ、ここにいる人たちは正しい方で使っているのに気付いてないかも」って、本当に面倒臭い・・

って実はそこまでは思ってないです、ていうよりはそんなことを指摘するくらいなら先になんとかしなければならない言葉がもっとある。

最近一番気になるのは「リア充」って言葉、本当にどうにかしてほしい。

ここ何年かで市民権を得たような格好になっていますが、耳障りというか何度も意味を聞きなおしてしまう。その都度、「なんだそれ」って思い、そしてまた忘れて聞き直して、またイラッとする。ご存知かとは思いますが、仮想世界ではなく現実世界が充実していることらしいです。何かに現実逃避することもいわば現実世界で起こっている事だし、昔から人間が想像する普通のことですよね。わたしからしたら「充実」しているで完結しているし、個々が感じる感覚の問題だから何に充実しているかは各々の勝手。リアルが充実しているという言葉を作るより、現実逃避して帰ってこれない人たちや状態を言葉にするべきだ。

子供たちを中心に新しい言葉や流行り言葉を作ることはわたしたちの時代にも少なからずあったこと。ただ大人がその言葉を常用に使うのかは慎重にしなくてはいけない。

言葉選びもセンスです。

時に流行り言葉を取り入れるのもいいですが、センスのない言葉はチョベリバでKYです。

 

 

水野

スタリスタイル

流行りを追う行為は何とも滑稽にうつってしまう。

それは流行(一般的に)しているものを取り入れていること自体を言うのではない、そこに自分自身が存在せずただ追いかけている様を言っているのである。時代に取り残されまいとする焦りだったり、他人からどう見られているかを意識し過ぎることだったり…。

わたし自身何様でもないけど、時よりそんな人を見ると寂しい気持ちになる。

何故もっと自分自身が本当に好きだと思うものを使い続けれないのかと?流行っているものを取り入れるのは普通のこと、であればすたっても着続けるものがあっても然りだと思う・・なのに街中を見回しても頭から足の先まで同じような人がこれだけ溢れている。その時点で自分がないということを露呈している。

「何を買ったら良いかわからない」っていう人も少なくないが、そんな人こそ流行り物に手を出さない方がいい。接客されるのが嫌なんて言うのではなく、スタイルをきっちり見極めてくれるショップ店員を探すべきだ。今の時代、それも難しくなってきたがまだ販売に意識の高い店員さんは必ずいる。ただそれもネット通販ばかりしていればそんな機会はゼロに等しい。

流行を先取りするなんてことより、時代遅れなものになっても自分のものにして着続けられる方がよっぽど価値があることに気付くべきだ。「何か格好良いんだよね」と言わせる人は間違いなくそういう価値観を持っている。

若者がよく言うファッションも自己主張の一つであるなら、内面を誤解されない外見をつくること。安っぽくなるので「個性」という言葉を使わず言えば、等身大の自分をどれだけ素直に外見に表現できるかでしょう。時に奇をてらってほころびがみえたり、自分の内面と真逆を表現して自らを変えることだったりも人間らしくて良いとは思う。だけど「常にみんなと同じ考えです、多い意見の方に賛成します」と謳っているようなスタイルだけはやめた方が賢明だ。

 

 

水野

 

2017年の始まりに

今までも年配の方の言葉には耳を傾けるようにして生きてきた、時にそれがよく理解できなかったとしても頭のどこかにはしまっておくようにしている。

歳を重ねていくと考えるコトや考え方も少しずつ変わってくるのを実感する、そしてその都度過去の自分のあさはかさに気付かされる。

だからその先にいる目上の人の言葉はわたしにとって生きるヒント、自分も何十年後にはそんなことを思うのかもって全てを聴きいれるようにする。この「かも」ってのもすごく大事で、答えではなく一つの可能性として時折いろんな人の言葉を頭の隅から掘り起こすようにしている。

昨年のいつごろだっただろうか、引退発表後の宮崎駿を追ったドキュメンタリーが放送されていた。うろ覚えだがその中で行き詰まったような彼が吐き捨てるように発した言葉を思い出した。

「30代や40代のように沸き立つようなものはもうない・・」。

長い年月をかけて全てを出し切ったかにみえる彼の言葉だけに妙に耳に残ったのを覚えている。きっと単なるあきらめや後悔の言葉ではないはず。それは残された時間の中、今までやり切ってきた彼だから課される使命にもがいているようにもみえ、何物にも代え難い「生きがい」を楽しんでいるようにも見えた。

わたしなりの自分自身に向けた解釈は

「 ‟今の今しかやれないこと”に常に気付けているか?ということ 」

歳を重ねていくごとにその時にしか出来ない(出来なかった)こと、その時やらなくてはいけない(いけなかった)ことに自分自身が気付くことができているか、気付こうとしているか?

今日のこのタイミングしかできないこともきっとあるはず。見ようとしなければ何もなかったように通り過ぎていくけど、そっと背後にまわられている不気味さも否めない。

心身ともに機が熟した40代、今しかやれないことをやっているか自問自答しながら生活する一年にしよう。それができればいつか小っちゃな使命を感じれるようになるかも・・そんなことを考えた2017年のはじまりです、

本年もよろしくお願いいたします。

 

 

水野

2016年の終わりに

早いもので2016年もあとわずか、「何かが変わりそうな予感」と書いたのがもう半年も前のこと。それがトランプ大統領誕生を指していた・・とは言いませんが、あのニュースには驚かされると同時に考えさせられる部分もありました。

一番驚かされたことは、トランプさんが勝ったことでも、ヒラリーさんが負けたことでもありません。それはメディアや専門家のほとんどが開票直前まで大統領選の行方を見誤っていたことでした。こういう類いの調査は我々が思っている以上に精度が高いと思っていました。表面化しづらい部分がどうのと言う人がいますが、結局それが覆された要因はなんだろうと考えると、それは計り知れない「無意識なる繋がりのパワー」のような気がしてなりません。世界までが一瞬にして繋がる時代は、その渦中にいる者たちに妙な高ぶる熱のようなものを一緒に与えてしまうと思っています、それが良いことでも悪いことでも。

人間は悲しいかな自らの意見に自信がもてない。故に、今までは新聞やテレビを中心としたメディアから得た有識者といわれている者の意見に左右されてきてしまった。しかし、インターネットが発達した今は色々な意見や情報があらゆる角度から大量に飛び込んでくる。そして、そこに自分の主張に近いものを見つけた瞬間それは一気に加熱する。

「間違っていたと思ってたけど、こんな人が俺と同じ意見なら・・」

「そうなのよ、実はわたしもずっとそう思ってた・・」

こんな入り口は今までにないパワーを生む典型だ。そして、それが今回大きな波となって押し寄せた瞬間だったのかもしれません。

トランプ大統領誕生がアメリカにとって世界にとって良かったかどうかは別として、ありえないと思っていたことが現実になってしまう怖さの中に大きな希望を感じてしまうのはわたしだけでしょうか。

今年も一年ありがとうございました。

 

水野

 

 

ティッシュケースにデザイン?

ある日の酒の席での事、建築やプロダクトデザインを生業としている知人とこんな話しになった。

どれだけインテリアにこだわってお気に入りの空間を作っても、ティッシュの箱の存在がどうしても気になる、と。

 
巷にはたくさんのティッシュカバーやケースが売られていると思うが、その中でどれがいいとか、気に入るものがないとかそんな単純な話しではない。
日常的に不可欠な存在になってしまっているティッシュを、視覚的には執拗に排除したいと思う思考だったり、隠そうとする心理(自分)に違和感をおぼえる。ティッシュの箱以外にも似たような存在はあるが、ほとんどのものは収納してしまえば解決する。ただティッシュだけはスっと使えないといけないので収納しているのはもっと違和感になる。

 
オシャレ感のあるカバーやケースに入れることも、存在を何とか隠そうとしている感じやオシャレに見せようとしている感じがどうもむずがゆい。ましてやインテリアの調子にあわせようものならたまらなく耐えられない。

 
それなら、やっぱりもともとのパッケージのままで置くことになる・・

 
確かに、最近ではそんな人たち向けにシンプルデザインを装った商品がたくさんあります。ただ、結局は気にしている感が出るのは同じことで、シンプルにと箱自体に何らかのデザイン(配慮)を加えようとした時点でそれは違うということになってしまう。
んーー、
普段から小難しい男たちに酒を入れるとティッシュ箱の穴の中はもう宇宙です。なぜ、たかがティッシュの話しでここまで・・とお思いでしょうが、そんな二人にはいい肴だったりする。赤ら顔のなりきりフロイトとユングは知らないうちに床へ。

 
最終的な結論には至りませんでしたが、一旦はスコッティのグレーだけが入った5個入りがやはり暫定1位ということになった。

翌日、とりあえず5個入りを4つまとめて購入、計20個のストックもリビングの見えるところへ平積み。

グレーの横縞(ティッシュ箱)に逆に存在感をだしてやったというお話しでした。

 

水野

キッチンクロス

今までも一つのモノ(道具)に出逢って、それを使うことで生活が楽しく感じたことは何度か経験した。

 
新しいコーヒーの器を手に入れたら、いつも以上に朝が待ち遠しかったり・・
ちょっと良い霧吹きを見つけたら、まだ寒い時期の苗の水やりもはかどったり・・

 
でも、そんなわくわくすることも何度かで少しずつ飽きていってしまう、情けないが正直なところそうだ。
情けないついでになりますが、わたしは食器を洗っても拭かずに自然乾燥にしてしまう。割とキレイ好きな方だと思うのだが、こればかりは昔から面倒でやったためしがない。

 

そんなわたしが一枚のキッチンクロスを頂いて、その悪しき習慣が治ってしまった。

手触りや吸水力、お皿を包み拭く感触が気持ちいい。変な通販番組のようですが、自分でも驚いている。

 
こういった道具との出逢いで自分の嫌な習慣が変わることってそうそうあることじゃない。それこそお皿を洗ったら、拭くことが習慣化していることが自分でもわかる。洗濯用の替えが少ないので新しいものを選んでいる自分までいる。
何か不思議・・

 

そして今晩も冷たい水で皿を洗うのです、
もちろん食器乾燥機なんてものはわたしの生活には必要ない。

 

水野