By setsuda

ご報告

コラムではなく、ご報告です。

2017年9月1日、あらたにお店をはじめます。「noise(ノイズ)」という屋号です。

アナログレコードのノイズのように、なくてもいいのだけれど、他でもいいのだけれど、それがあるだけで、心が躍る。有名無名、流行、年齢、性別、ジャンル、コンセプト、エトセトラ、そんな属性よりも大切にしたいものごとを取り扱います。

allinone も noise で取り扱うこととなり、ようやく通販でもご購入いただけるようになります。流通、販売方法、ブランド運営などなど、世の中の当たり前に対する疑問がたくさんあり過ぎて、今までご不便をおかけし申し訳ございませんでした。

働き方を、よくバンドに例えます。会社がレーベルで、店がバンド。バンドではできないことは、ユニットを組む感覚で、別名義にします。たまに、名前も使わず、プロデュースや楽曲提供のような仕事もしたり。

起業して10年を過ぎた4年ほど前、noiseの構想を練りはじめました。ユニットではなく、もう一つ新たにバンドを組む感覚で。ポストロックのように、様々なジャンルをクロスオーバーさせながら、何かに縛られることなく、変幻自在に奏でたいと思っています。

(※)音楽を扱うお店ではありません。

説田

一定のリズムを刻む

四泊五日の東京出張でした。allinoneの展示会。久しぶりの東京だったので、仕事後の友人たちとの宴も、当然ながら今回の目的。なぜなら、このブランドでは生活と仕事が一定のリズムを刻む中で生まれ育てているからです。コンセプトではなく、作っている二人の生活をリアリティを形にしているから、遊びの先に仕事があり、逆に仕事の先に遊びもあるのです。さらには、売り方(どのように世の中に流通させるか)もわれわれのスタイルを貫いています。今の時代に逆行するかもしれないのですが、情報はできる限り制限し、既存の流通形態に乗せるのではなく、主体性をもって制作から販売に従事しています。利己的に見えることもあるかもしれませんが、われわれは心地良いリズムで暮らし仕事をしたいだけなのです。

相棒と一緒に東京で仕事をするときはいつも、食事をさせてもらうイタリアンレストランがあります。二日目の仕事後、オーナーを交え三人で会食していました。そこで、生活と仕事、家族など、お互いの日常について語り合いました。深く本音で話をすると、今の暮らし方に見直すべき箇所が露呈してきたりもします。それらを否定的に捉えるのではなく、生活のクオリティがさらに高まる予兆として受け止めています。始動してわずか半年ですが、すべてが上手く循環しておりまして、貪欲に掘り下げ出しています。もしかしたら、このブランドをはじめたのは、自らの暮らしの質を高めたいと考えはじめたからなのかもしれません。

ブランドのプロフィールにも書いていますが、生活に寄り添うように仕事があり、遊びの延長に仕事がある。すべてのリズムが一定であるが故にすべてが心地よく流れる。まさにそれを体感した今回の出張となりました。展示会WHOLESALERS SHOWにご来場くださいましたみなさま、仕事後一緒に遊んでくれた友人たち、ありがとうございました。また、神出鬼没に活動して参りますので、今後ともよろしくお願いします。

説田

偉人の言葉

先日、デビッドボウイ氏が他界されました。熱狂的ではありませんが、少なからず影響は受けました。そんな彼が生前に残したと言われる言葉です。

『 僕はいかにも幸福なアルバムが嫌いでね。僕が幸福な時、僕はいかにも幸福なアルバムは聴きたくないし、本当に悲しい時は、幸福なアルバムは聴きたくない。だから個人的に、僕の人生には幸福なアルバムの入り込む余地はあまり無いんだ。 』

『 もがき苦しむって事は非常に大切なことだからね。時には自身の内面を研ぎ澄ますために、自分の魂を痛めつける必要もあるんだよ。 』

『 何をしても文句をつけられる。大がかりにやっても、細々とやってもね。いずれにせよ非難されるんだから、どうやろうと関係ない。自分が何をしたいのかを見極めて、それを実行するのみだ。それしかないよ。 』

世界中に影響を与え続けた偉人の言葉だからこそ、真っ直ぐ心に響きます。多感な十代、二十代前半の受け止め方とは違うけれど、大人になった今、あらためて心に突き刺さる言葉なので、ぼく自身心に留めておこうと、ここに書き記しておきます。

説田

モノトーンの世界

われわれ人間の目に見えるものは、おおむね色を持っていますが、一旦色がなくなると、人は神経を研ぎ澄まし、明暗の変化から想像力を高め、その意味合いを探り出そうとします。

モノトーンの写真や映画を見ると、色や音がないぶん、表情や背景、細部がとても気になります。さらに、読書(文章)となると、視聴覚の要素は排除されるので、想像力はより高まり、脳が活性化しているようにも感じます。

世の中、さまざまな物事が、どんどん便利になって、想像力を働かさなくても、正確で客観的な情報が舞い込んでくるようになりました。映像と音とキャッチフレーズで、思考を支配されてしまう恐怖感すら覚えることがあります。時代に適応すればするほどに、不十分な情報しかない不便な状況では、適応力が鈍ってしまうのではないだろうかと、不安に陥ってしまいます。

安易に、便利さに身をゆだねるのではなく、意識的に情報を制約し、想像力を働かせ、適応力を高めるモノトーンの世界感。今、とても大切にしたいことの一つです。

説田

襟を正して

最近、近しい人たち、数人から耳にした言葉。

どうせ無理だから。

100連敗しているなら、才能のなさに気づいて諦めることも必要ですが、暇つぶしならともかく、本気で高い目標持っているのなら、負の想像力働かす前に、挑戦して大失敗の一つや二つしてみろって思うのです。失敗して湧き出てくる感情とか、今後の動機づけにもなるし、人に迷惑かけるなら(迷惑かけないに越したことはないのですが)、ケツの拭き方を学んで、自分の力量も測れるのに、何をためらうんですかね。

今やろうと思ってた。

ただの言い訳ですね。指摘された時点で、まずできてなかったことを反省すべき。まずは詫びて、すぐに対処して、信頼取り戻せばいいだけのこと。先に自己弁護は駄目です。

「どうせ無理だから」は、自信のなさ。「今やろうと思ってた」は、自信過剰の表れ。どっちもね、きっと経験値が少なすぎて「自信」を上手くコントロールできてないだけなんだと思うんです。襟を正して、謙虚に、目標に向かって場数を踏んで欲しいなぁと。

説田

たわいない話

最近、異業種の思慮深い方々と食事に行き、くだらない話から強い思いまで、談笑しています。そんな中、東日本大震災がきっかけとなり、京都に移住し、もしくは帰京された方々と、この数か月でたくさん出逢いました。

震災直後、「節電」は毎分のように耳にする言葉だったのに、今は一体どこへやら?地球規模の環境の変化(悪化)の深刻さを考えると、節電くらいじゃどうにもならないのを言い訳に、経済優先なのですかね。

震災からしばらく、少し質素な暮らしになって、少し安心した自分がいました。世の中全体が素朴で丁寧な暮らしに向かうことで、競わず、争わず、真の意味で繋がり助け合う人たちをよく目にしました。

しかしながら、あれから四年半で、繋がりが薄っぺらな「つながり」となり、人との関係性すら軽薄になってきてい気がしています。「丁寧な」という言葉も、真の意味を失い、人の虚栄心をくすぐり消費活動に繋げる、丁寧じゃない商いもよく目にします。

五年なんてあっという間ですね。京都に移住(帰京)してきた方々の気持ちに触れるたびに、心に留めていたずの想いが知らず知らずに風化しているのに気づかされます。今一度、日々の暮らし方を見つめ直す必要性を感じてるこの頃です。

たわいない話で、失礼します。

説田

無名の良さ

先日、別の仕事ですが、とある野外フェスでデザインユニットを招いて、ワークショップを行いました。活動を始めたばかりで、まだまだ「無名」ユニット。すでに名が世に轟く「有名」を起用すれば、手放しで盛り上がるのは想像に容易いのですが、無名だからこそ、無名である時期だからこそ、100%純粋な反応を体感できるチャンスでもあるのです。

もちろん、無名と言っても才能を信じて起用しています。賭けではなく、確信した上で。一緒に仕事をしたり、私生活でお酒を呑んだり、仕事場にも遊びに来てくれたり、そういった日常の繰り返しで信頼は生まれるものです。そんな生活の循環が確信を生み出します。注意すべきは、仲良し小好しを信頼と見誤ってはいけない、という点です。

今、世の中を見渡すと、希薄な関係性のもとで「有名」を起用する場面をよく見かけます。噂で見聞きしたことがあるくらいのレベルで。有名になるまでクオリティを高めてきた人たちに罪はないのですが(いや、希薄な関係性で乗っかる時点で罪かもしれませんが)、その名を片手間で利用して消費者を操ろうとする手法は下品ですね。

名前が一人歩きしてからでは、できないことが山ほどあります。何かものごとを始める時、がむしゃらに前に進むのも良いのですが、名もない時代にしかできないことを突き詰めるのも楽しいものです。ぼくら自身、このブランドを始めたばかりで無名です。有名になりたいわけじゃありません。ただ、具現化したい、表現したい想いはたくさんあるので、今、無名である時代に、自分たちに何ができるのか、追求しながら日々過ごしております。

堅苦しいこと書いてますが、楽しんでおります。

ひと手間

こんにちは、説田です。

先日、LIFEで開催中のポップアップストアの帰りにTACOMA FUJI RECORDSの渡辺さんを訪ねました。東京に行くと必ず会って話をしたい人で、お互いの近況報告をするだけでもなぜか頭の中が整理できる稀有な存在。そんな彼のブログでチラッとぼくのことをご紹介いただいてます。なるほど。

『説田さんは面白い。経歴も仕事に対するスタンスも、他の人とはちょっと違う。人と違うことにビビらず、ひけらかさず、飄々としながらたまに顔を出す頑固というか、意志の強さが話していて心地よい。』

allinoneの製品は、メール注文に限らせていただきウェブ通販をしています。今の時代、お客さまにとって手間がかかる面倒な購入方法です。そんな中、一通のメールをいただきました。

『最近ではボタンを一つ押すだけで欲しいものが手元に届く買い物が多くなっていましたが、購入をさせていただくまでに、このようにやりとりをさせていただき、温かみや親近感を感じさせていただき、洋服が手元に届くのがより楽しみになりました。愛着を持って、大切に着用させていただきたいと思います。ありがとうございました。』

利便性や機能性は、ぼくみたいな速度の遅い人には優しくなかったりもします。時代や世の中の常に流されずに、逆らってみたり疑ってみたりすることで、心地よく感じるのであれば、「ひと手間」はとっても温かいものです。

4分33秒

はじめまして、説田です。ご挨拶の代わりに、9月5日にまつわるコラムを一つ。

作曲家ジョンケージが生まれた日。代表曲として有名な「4分33秒」という曲(?)は、初めてこの曲に対峙した当時20代のぼくには大きな衝撃で、後の価値観に大きな影響を及ぼしています。

なぜ「曲(?)」と書いたかと言いますと、すべての演者は最初から最後まで演奏をしません。楽譜には各楽章にTACET(休憩)と書いてあるのみなんですね。当然賛否があり、偉大な演奏と評価する人もいれば、茶番とみなす人もいます。

また、ジョンケージはあるとき、音のない世界の音を聞くためにハーバード大学の無音室に行ったそうです。そこで聴いたのが「神経系が働いている音」と「血液が流れている音」。

音楽という表現の中での無音。無音という中での音。「4分33秒」を聞いて以来、自分自身の固定観念なんて、たんなる思い込みかもしれないと考えるようになりました。ましてや他人に押し付けるなんて烏滸がましいことです。ただ、このブランドで挑戦してみたい重要な要素の一つが、自分の理解が及ばない事象に対峙したときに駆られる衝動。それを製品を通して表現してみたいと思っています。

どうぞ、よろしくお願いします。