2017年の始まりに

今までも年配の方の言葉には耳を傾けるようにして生きてきた、時にそれがよく理解できなかったとしても頭のどこかにはしまっておくようにしている。

歳を重ねていくと考えるコトや考え方も少しずつ変わってくるのを実感する、そしてその都度過去の自分のあさはかさに気付かされる。

だからその先にいる目上の人の言葉はわたしにとって生きるヒント、自分も何十年後にはそんなことを思うのかもって全てを聴きいれるようにする。この「かも」ってのもすごく大事で、答えではなく一つの可能性として時折いろんな人の言葉を頭の隅から掘り起こすようにしている。

昨年のいつごろだっただろうか、引退発表後の宮崎駿を追ったドキュメンタリーが放送されていた。うろ覚えだがその中で行き詰まったような彼が吐き捨てるように発した言葉を思い出した。

「30代や40代のように沸き立つようなものはもうない・・」。

長い年月をかけて全てを出し切ったかにみえる彼の言葉だけに妙に耳に残ったのを覚えている。きっと単なるあきらめや後悔の言葉ではないはず。それは残された時間の中、今までやり切ってきた彼だから課される使命にもがいているようにもみえ、何物にも代え難い「生きがい」を楽しんでいるようにも見えた。

わたしなりの自分自身に向けた解釈は

「 ‟今の今しかやれないこと”に常に気付けているか?ということ 」

歳を重ねていくごとにその時にしか出来ない(出来なかった)こと、その時やらなくてはいけない(いけなかった)ことに自分自身が気付くことができているか、気付こうとしているか?

今日のこのタイミングしかできないこともきっとあるはず。見ようとしなければ何もなかったように通り過ぎていくけど、そっと背後にまわられている不気味さも否めない。

心身ともに機が熟した40代、今しかやれないことをやっているか自問自答しながら生活する一年にしよう。それができればいつか小っちゃな使命を感じれるようになるかも・・そんなことを考えた2017年のはじまりです、

本年もよろしくお願いいたします。

 

 

水野

2016年の終わりに

早いもので2016年もあとわずか、「何かが変わりそうな予感」と書いたのがもう半年も前のこと。それがトランプ大統領誕生を指していた・・とは言いませんが、あのニュースには驚かされると同時に考えさせられる部分もありました。

一番驚かされたことは、トランプさんが勝ったことでも、ヒラリーさんが負けたことでもありません。それはメディアや専門家のほとんどが開票直前まで大統領選の行方を見誤っていたことでした。こういう類いの調査は我々が思っている以上に精度が高いと思っていました。表面化しづらい部分がどうのと言う人がいますが、結局それが覆された要因はなんだろうと考えると、それは計り知れない「無意識なる繋がりのパワー」のような気がしてなりません。世界までが一瞬にして繋がる時代は、その渦中にいる者たちに妙な高ぶる熱のようなものを一緒に与えてしまうと思っています、それが良いことでも悪いことでも。

人間は悲しいかな自らの意見に自信がもてない。故に、今までは新聞やテレビを中心としたメディアから得た有識者といわれている者の意見に左右されてきてしまった。しかし、インターネットが発達した今は色々な意見や情報があらゆる角度から大量に飛び込んでくる。そして、そこに自分の主張に近いものを見つけた瞬間それは一気に加熱する。

「間違っていたと思ってたけど、こんな人が俺と同じ意見なら・・」

「そうなのよ、実はわたしもずっとそう思ってた・・」

こんな入り口は今までにないパワーを生む典型だ。そして、それが今回大きな波となって押し寄せた瞬間だったのかもしれません。

トランプ大統領誕生がアメリカにとって世界にとって良かったかどうかは別として、ありえないと思っていたことが現実になってしまう怖さの中に大きな希望を感じてしまうのはわたしだけでしょうか。

今年も一年ありがとうございました。

 

水野

 

 

ティッシュケースにデザイン?

ある日の酒の席での事、建築やプロダクトデザインを生業としている知人とこんな話しになった。

どれだけインテリアにこだわってお気に入りの空間を作っても、ティッシュの箱の存在がどうしても気になる、と。

 
巷にはたくさんのティッシュカバーやケースが売られていると思うが、その中でどれがいいとか、気に入るものがないとかそんな単純な話しではない。
日常的に不可欠な存在になってしまっているティッシュを、視覚的には執拗に排除したいと思う思考だったり、隠そうとする心理(自分)に違和感をおぼえる。ティッシュの箱以外にも似たような存在はあるが、ほとんどのものは収納してしまえば解決する。ただティッシュだけはスっと使えないといけないので収納しているのはもっと違和感になる。

 
オシャレ感のあるカバーやケースに入れることも、存在を何とか隠そうとしている感じやオシャレに見せようとしている感じがどうもむずがゆい。ましてやインテリアの調子にあわせようものならたまらなく耐えられない。

 
それなら、やっぱりもともとのパッケージのままで置くことになる・・

 
確かに、最近ではそんな人たち向けにシンプルデザインを装った商品がたくさんあります。ただ、結局は気にしている感が出るのは同じことで、シンプルにと箱自体に何らかのデザイン(配慮)を加えようとした時点でそれは違うということになってしまう。
んーー、
普段から小難しい男たちに酒を入れるとティッシュ箱の穴の中はもう宇宙です。なぜ、たかがティッシュの話しでここまで・・とお思いでしょうが、そんな二人にはいい肴だったりする。赤ら顔のなりきりフロイトとユングは知らないうちに床へ。

 
最終的な結論には至りませんでしたが、一旦はスコッティのグレーだけが入った5個入りがやはり暫定1位ということになった。

翌日、とりあえず5個入りを4つまとめて購入、計20個のストックもリビングの見えるところへ平積み。

グレーの横縞(ティッシュ箱)に逆に存在感をだしてやったというお話しでした。

 

水野

キッチンクロス

今までも一つのモノ(道具)に出逢って、それを使うことで生活が楽しく感じたことは何度か経験した。

 
新しいコーヒーの器を手に入れたら、いつも以上に朝が待ち遠しかったり・・
ちょっと良い霧吹きを見つけたら、まだ寒い時期の苗の水やりもはかどったり・・

 
でも、そんなわくわくすることも何度かで少しずつ飽きていってしまう、情けないが正直なところそうだ。
情けないついでになりますが、わたしは食器を洗っても拭かずに自然乾燥にしてしまう。割とキレイ好きな方だと思うのだが、こればかりは昔から面倒でやったためしがない。

 

そんなわたしが一枚のキッチンクロスを頂いて、その悪しき習慣が治ってしまった。

手触りや吸水力、お皿を包み拭く感触が気持ちいい。変な通販番組のようですが、自分でも驚いている。

 
こういった道具との出逢いで自分の嫌な習慣が変わることってそうそうあることじゃない。それこそお皿を洗ったら、拭くことが習慣化していることが自分でもわかる。洗濯用の替えが少ないので新しいものを選んでいる自分までいる。
何か不思議・・

 

そして今晩も冷たい水で皿を洗うのです、
もちろん食器乾燥機なんてものはわたしの生活には必要ない。

 

水野

素敵すぎる中国製

メイドインジャパンについては以前にも触れました。大量消費時代を経て成熟したのか単なる流れなのかはわかりませんがメイドインジャパン回帰が進んでいます。ただそんな流れに便乗した「名ばかりメイドインジャパン」が横行しているのも事実です。売れないからとりあえず日本でもう一度作ってみようみたいな、そうすればメイドインジャパンと謳えるし、ロットも少なくて済むから・・てな感じなんでしょうか。

 
ここまでくると「どこの国で作られたか」に本質はない、「どんな人が作っているか、どんな人たちが関わっているか」がより重要ではないか。

 
そんな中、一枚のニットに出逢いました。

 
それは、中国の奥の奥、人の手がまだ届ききっていない大自然の中で100年以上無農薬で作られた綿が原材料。それを中国の方が手で紡いで、さらに中国のどなたかがハンドで編みたてたニット。手紡ぎに手編み、もちろん製品としての均一感はありませんが衣類にこれほどの表情が出せることを改めて知らされました。もうサイズは大体の目安でしかありませんし、こんな商品はネットでは売れません。人の手から人の手にしか渡すことができないものがあること・・、まだまだやれることがある気がします。

 

よしっ、もう一度お店に立とう!

 

水野

直感を鍛える

頭の中にはどれだけの不確かな情報が埋め込まれているんでしょうか?不確かであることさえ自覚していないものも含めるとかなりの量ではないでしょうか。一つ一つ疑って見直すことは不可能ですが、少しだけそんな癖をつけていくと直感みたいなものが働きだすと思っています。

 
周りを見渡しても個人単位での小さな改革(生活を見直すことだったり)や大きくは社会的ムーブメントを起こしている人たちがいます。良い悪いはさておき、そんな活動からいろんな問題提起を受ける機会は増えてきていると思います。そして、今まで見聞きしてきたことや当たり前だと思っていたことに疑問を感じ始めている人たちが確実に増えてきています。

 
それを自分自身への問題提起と受け止め、改めて自らに問う作業をしてみてはどうでしょう。何となく流されていくのではなく、自分の中に少しでも持論がもてるようこの工程をふむことがとても大切な気がします。「よくわからいけど、このままだと何かまずいんじゃないかな」と感じることも、「やっぱりこのままの方が良い」と感じることも、直感への一歩だと思います。知識の差はあって当然です、故に意見が違うことも当然です。知識がないことが悪なのではなく、考える工程をもっていないことが良くないとされるんですよね。

 
世の中には、たくさんの嘘が隠されているでしょう。このまま騙され続けてはいけないこともある一方、嘘のままの方が秩序が守られるなんてこともあると思います。この線引きは一人ひとり違っていいと思います。冒頭で書いた通り、すべてを解体することは不可能です。最後は直感で選択すれば良いのだと思います、常に考える癖をつけた人間の直感はかなり鋭くなっていると思いますよ。
そんな直感を研ぎ澄ます訓練をしていきましょう。

 

 

水野

何か大きく変わりそうな予感

 

根拠はないのですが、まもなく何かが大きく変わりそうな予感がします。変わりそうで変わらなかった何かが大きく動き出そうとしている気がしてなりません。

世界の今の流れを支持する人たちがこのままの方針にのって大きく動き出すのか、それともこのままではいけないと感じている人たちの中に「ひょっとしたら変えられるんじゃないか」という風潮が一気に加速していき何かを覆すのか、それはわかりません。

歴史上には偉大な発見や発明が遠く離れた場所で同時期に生まれたり、動物の世界でもあちこちで同時期に同じような不思議な行動をとりはじめるなんてことを聞いたことがあります。これらが偶然か必然かの真相はわかりませんが、こと人間、こと現在においては常に国内外問わずリアルタイムで繋がっていてる事実があり、ムーブメントを起こすお膳立ては既にされています。

 
それがどちらに働いてもおかしくはありません。

 
ただエネルギーが大きいのは、今までも情報網をフルに生かしコントロールしてきた主流派より、表面化しづらかった何かを変えたいと思ってきた人たちの方ではないでしょうか。潜在意識の中に長年共有して溜まってきたものが何かを突き動かす、そんな機が熟してきているのかもしれません。

 

 

水野

一定のリズムを刻む

四泊五日の東京出張でした。allinoneの展示会。久しぶりの東京だったので、仕事後の友人たちとの宴も、当然ながら今回の目的。なぜなら、このブランドでは生活と仕事が一定のリズムを刻む中で生まれ育てているからです。コンセプトではなく、作っている二人の生活をリアリティを形にしているから、遊びの先に仕事があり、逆に仕事の先に遊びもあるのです。さらには、売り方(どのように世の中に流通させるか)もわれわれのスタイルを貫いています。今の時代に逆行するかもしれないのですが、情報はできる限り制限し、既存の流通形態に乗せるのではなく、主体性をもって制作から販売に従事しています。利己的に見えることもあるかもしれませんが、われわれは心地良いリズムで暮らし仕事をしたいだけなのです。

相棒と一緒に東京で仕事をするときはいつも、食事をさせてもらうイタリアンレストランがあります。二日目の仕事後、オーナーを交え三人で会食していました。そこで、生活と仕事、家族など、お互いの日常について語り合いました。深く本音で話をすると、今の暮らし方に見直すべき箇所が露呈してきたりもします。それらを否定的に捉えるのではなく、生活のクオリティがさらに高まる予兆として受け止めています。始動してわずか半年ですが、すべてが上手く循環しておりまして、貪欲に掘り下げ出しています。もしかしたら、このブランドをはじめたのは、自らの暮らしの質を高めたいと考えはじめたからなのかもしれません。

ブランドのプロフィールにも書いていますが、生活に寄り添うように仕事があり、遊びの延長に仕事がある。すべてのリズムが一定であるが故にすべてが心地よく流れる。まさにそれを体感した今回の出張となりました。展示会WHOLESALERS SHOWにご来場くださいましたみなさま、仕事後一緒に遊んでくれた友人たち、ありがとうございました。また、神出鬼没に活動して参りますので、今後ともよろしくお願いします。

説田

サービスには少なからず代償がある?

年々SNSが広まりつつある中、一方でその存在を不安視する声も増えてきているのも事実です。わたしの周りでもたわいもない会話に混じってこの件が度々話題に上がるようになってきたので少し触れてみようかと思います。

 
わたし個人としてはそういったものを使用してきていません、ただ仕事上では一部使わせていただいているのも事実です。先に言っておくとわたし自身は肯定派でも否定派でもありません。ありきたりな言い方ですが、それぞれがうまく使いこなせるかどうかに尽きると思います。つまりはシンプルにメリットとデメリットの問題です。そっけなく聞こえるかもしれませんが、それぐらいのものと意識していないと怖いということです。
サービスを使用している人はSNSのメリット(利便性含め)はよくわかっているのですが、デメリットは意外とみえていない気がします。(*補足しますが、このケースのデメリットは人それぞれで違います。)

 
すべてはここにある気がします。

 
大げさな表現をすれば、この見えない物体に知らないうちにコントロールされないことです。依存してしまうことは勿論のこと、単に慣れていくことの裏にあるものを自覚しておくことでしょうね。
機能も自分自信もコントロールできる側でいること、つまりデメリットを受け入れていれば世間から何を言われたって気にする必要なんてないということです。

 
わたしが個人的にSNSをやっていないのは、知り過ぎることへの怖さもありますが、一番はたまに会う知人たちと新鮮な会話を積もるほどしたいからでしょうか。

 

水野

四季の力

各地から桜の便りが届いています。みんなでワイワイと花見をすることは少なくなりましたが、素直に桜の時季はとても気持ちが良いものです。

日本のようにこれだけ四季がはっきりしているのは世界でもほんの僅かなんでしょう。歳を重ねていくにつれ、この四季の変化は仕事をしていく上で大きな役割を果たしていてくれると思うようになりました。
わたしは仕事が好きな人間です、ただ一年に何度か理由もなく仕事から離れたくなり無気力になってしまうことが周期的に訪れます。それは一定のリズムの心地よさを求める自分と刺激を求めだす自分の矛盾さが合いまみえる瞬間なのでしょうか。人はずっと同じ環境だと物足りなさを感じてしまうものです、それがどんなに幸せな環境だとしても。そんな時、仕事場の窓の景色が変わっていくことがそんな衝動を緩和してくれている気がします。

スイッチを入れ直さなければいけないと自力で頑張ってきたつもりでしたが、ひょっとすると自然と目に入ってくる景色(四季)の変化がその原動力の一つになり、リセットさせてくれていたんじゃないかと思います。緑緑しい夏の景色や紅く染まる秋の景色、真っ白な雪の景色、それぞれに感じる賑やかさや切なさもひっくるめて刺激となり、活力となっていく。

もし季節の変化や行事ごとによる景色の変化がなかったら、日本人はこんなに勤勉ではなかったのかもしれませんね。
都会から離れて、自然いっぱいの田舎に移りたくなるのもそんなことからなのでしょうか。

日本に生まれて良かったと改めて思うと同時に、いつも四季の移り変わりを感じれるような余裕くらいは持っていたいと思います。

 

水野